第3部 その他の一般諾行事 第19節 教会行事一般とその起源 教会には次のような諸行事がある。その行事を取り上げ、簡単に起源等を書き記して参考とした。 1 元旦礼拝 2 初週祈祷会 3 受難週 4 復活節 5 五旬節 6 母の日 7 花の日と子供の日 8 感謝祭 9 聖誕節 10 除夜祈祷会 1 元旦礼拝 元旦が何曜日であっても、その日に礼拝を守ることは最も大切なことである。 世間では初詣と称して神杜に早朝から多くの人々が参拝に行くが、私たちクリスチャンは元旦礼拝を守り、1年の初めに、まことの神に対して霊とまこととをささげて礼拝すべきである。 聖書 詩篇65篇(聖句省略) イザヤ書40章25-31節(聖句省略) 賛美 聖歌 361「にいどしのあさ」 同 96「せいなるかな」 同 477「いざみなきたりて」 祈祷 恵みに富みたもう全能の御神よ、豊かな御守りのうちに新しい年を迎えることを許され、感謝しつつ御名をあがめます。詩篤の作者とともに「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう」と、御名を賛美いたします。御恵みにより、健康が守られて礼拝に出席し、大いなるご恩寵に浴することのできましたことを深く感謝いたします。 「その年に、御恵みの冠をかぶらせ」とのみことばのように、主にあって迎えたこの新年も、私たちの良い牧者であられる主イエスの牧場に飼われる主の羊として、年の始めから終りまで私たちの行く道に油をしたたらせてくださり、ご栄光を拝することを得させてください。主イエスの御名によってお願いいたします。 アーメン。 説教 新年にふさわしい短い説教をする。以下は普通の礼拝と同じである。 2 初週祈祷会 新年最初の1週間を初週祈祷の週間として祈り会を持つ。市町村内の各教会が連合して祈祷会を持つこともよい。各家庭の持回りで行うことも、その家庭の祝福となってよい。 3 受難週 主の復活日前の1週間を受難週という。また大週とか聖週とも呼ぶ。その第1日を「棕櫚の日曜」と呼ぶ。 受難週は毎夜特別祈祷会を開催し、そのつど以下の表に従い、その日の出来事を学び、主イエスのご受難を記念しつつ祈りの時を持つべきである。かくすることは、喜びの朝なる復活節を迎えるためにも大きな恵みとなる。 この週の金曜日は、特に十字架の日として断食する人々もある。外国では、この金、土、日の3日間を休業にする風習がある。いずれにせよ、キリスト教会として、またキリスト信者として、主イエスの最後の週間を、信仰的・霊的にきよく守ることが必要である。またこの週間には、十字架上の七言について学ぶことも意義深いことである。 賛美(聖歌153-164までに受難の歌がある) *受難週の福音書記事対照表* <曜日・主な出来事・マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順に記す> *日曜日 棕櫚主日・エルサレム入場 マタ21:1-9 マコ11:1-11 ルカ19:28-44 ヨハ12:12-15 *月曜日 いちじくの木の呪・宮潔めと教訓 マタ21:12-19 マコ11:12-19 ルカ19:45-48 *火曜日 学者と論争・多くのたとえ・世の終わり マタ21:23-26 マコ11:20-13:37 ルカ20:1-22:2 *水曜日 ユダの裏切り マタ26:14-16 マコ14:10,11 ルカ22:3-6 *木曜日 最後の晩餐・ゲッセマネ行 マタ26:17-75 マコ14:12-72 ルカ22:7-65 ヨハ13:1-18:27 *金曜日 受難日・ピラトの審判・十字架 マタ27:1-66 マコ15:1-47 ルカ22:66-23:56 ヨハ18:28-19:42 *土曜日 絶望(または休息)の日 *日曜日 イースター(復活日) マタ28:1-20 マコ16:1-20 ルカ24:1-553 ヨハ20:1-23 4 復活節(イースター) 復活節の期日については古来よりいろいろと論争もあったが、325年のニカヤ会議において、毎年春分後の最初の満月の直後に相当する日曜日と決定され、今日に至っている。多少の差はあるが、4月上旬から中旬ごろとなる。キリスト教関係の手帳や日記帳には、このことが行事の一つとして記入してある。 賛美(聖歌165-172までに復活の歌がある) 聖書 詩篇16篇(付録1にある。) 4福音書中の適当な復活の記事を読むこと。 主の復活の信仰は、すべてのクリスチャンにとって、実に大切な信仰である。今日イエスの精神的復活を説く者もあるが、聖書をことごとく神のことばであると信じる私たちは、イエスを神の子であること、すなわちイエスの処女降誕、奇蹟、十字架上の贖罪死、復活、昇天、再臨を信じる者である。復活節には総員礼拝を挙行して、具体的復活による根本的信仰を高調し、信徒の信仰を固めることが肝要である。 5 五旬節(ペンテコステ) この祭の起源は、レビ記23章15-17節にあるユダヤ人の3大節の一つである。 ペンテコステとは、ギリシヤ語の50の意味である。使徒の働きの2章にある聖霊降臨の大リバイバルは、ちょうどその五旬節の日にあたり、キリストが復活されてから50日目であった。当時の使徒たちや弟子たちが120人、エルサレムの二階座敷で心を一つにしてひたすら祈り続けた時、10日目になって聖霊の大傾注があり、大リバイバルが起ったのであった。この時の聖霊降臨が新約の教会の起源となったのであるが、それは預言の成就であった。このゆえに、新約の教会は特にペンテコステ聖日を記念して守るのであるから、昔のような大リバイバルの起るために、今日もなお一層心を合せて祈らなければならない。 6 母の日 母の日の起源は、直接聖書からではないが、1908年、アメリカのヴァージニア州ウェブスターのメソジスト教会で、一人の篤信な婦人の功績を記念した会合が催された。その良い催しが1914年にアメリカ上院で決議され、ウィルソン大統領の布告によって、5月の第2日曜日を「母の日」として記念するようになった。母がまだ生きている人は赤色のカーネーションを、母がすでに死んでいる人は白色のカーネーションを胸につけて母をしのび、母の愛を感謝するのである。このことがしだいに一般の風習となって広まり、創始してから40年たつと、全世界の教会の行事となった。日本では、青山学院のアレクサンダー夫人が、この日を守る奥りかしい習慣を養成するよう努力され、1931年ごろから教会でこの日を守るようになり、母を感謝するとともに深い神のご恩寵を味わう日となった。この日に子供たちが母に心のこもった贈物をするのも、美しい行いというべきである。 この日の礼拝には、母に関する賛美を選び、母の愛に関する説教をすることになっている。母性愛を通して、神の愛の深さと尊さを知るのは、最も適切なことであると思う。 7 花の日と子供の日 これは1856年、アメリカのマサチューセッツ州チェルシイ市の一教会のレオナルド牧師の発意で、特に6月のある日曜日を定めて、少年少女のために特別プログラムを作り、子供中心の集会を行ったのが起源である。 1866年には、アメリカのメソジスト教会が、年会において、6月の第2日曜日を「子供の日」として教会行事に加えることを決議した。この日は少年少女たちの宗教教育を強調する日である。また、1年中で最も多く花の咲く季節であるから、信者は各々、花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子供たちに持たせて病院を訪問させ、交番や社会施設等を慰問させる。これは子供たちに感謝と奉仕を実地に学ばせるものである。このように、最初は子供のために計画源起されたものが、花の日と呼ばれるようになったのである。 8 感謝祭 1860年ごろから、アメリカの諸教会では11月の第4日曜日を秋の収穫物を神にささげて感謝する日とし、民族的行事として守るようになった。これが感謝祭の起源である。その後、1864年、大統領リンカーンが、毎年11月の第4木曜日を感謝祭の日とするように勧告した。教会としては、その木曜日の前後部の日曜日のいずれかをそれにあて、感謝礼拝を守ることにしている。(この日の守り方については、収穫感謝会の項に記してある。) 9 聖誕節(クリスマス) マルコの福音書には、イエスの誕生のことが記録されていない。マタイの福音書とルカの福音書には、ヘロデ王の時とあるが、その月日については不明である。 元来、クリスマスが12月25日と定められて、祝われるようになったのは、4世紀になってからのことで、それまでには幾多の議論もあったのである。各国で行われていた冬期の祭日がキリスト教に折衷されたという説もある。 クリスマス・ツリーは、北欧チュートン民族の聖樹思想とローマの古い習慣との混合らしい。 サンタクロースも、北欧に伝わる慈愛の聖者ニコラウスが、貧者をあわれんで施しをしたというところから来たものらしい。 いずれにしても、キリストが人の子として生れたという日は実際にあるのだから、その日を定めてお祝いするのは当然である。 ただし、一般に行われている俗悪なクリスマスの祝い方は粛清しなければならないと思う。 それゆえ、教会は清い麗しい催しをして一般杜会に範を示し、クリスマスの清浄化をはかるべきである。各教会はそれぞれに伝統もあることだから、それを重んじて、クリスマス礼拝、クリスマス祝賀会、教会学校祝賀会等を行うべきである。この時期には、クリスマス特別献金や年末感謝献金をして、クリスマスの費用と牧師のボーナスにあてることも、教会として忘れてならないことである。 10 除夜祈祷会 「除夜の鐘」というのは、仏教思想から出てきたものであるが、キリスト者が、12月31日の夜、除夜祈祷会を開催して、祈りの中にその年を送り、祈祷のうちに新しい年を迎えるということは、意義深いものというべきである。 当夜は10時ごろから祈祷会を開催し、聖歌292番「きょうまでまもられ」を歌い、詩篇103篇を読み(病気平癒感謝会の項にある)、その年に受けた恵みの数々を思い起して感謝をささげる。兄弟姉妹のあかしの後、牧師が適当な奨励をし、12時近くになったら牧師は時計を見て、12時何分前と黙祷する時刻の迫ったことを告げる。12時になったならば、牧師は一同にその旨を告げ、なお2,3分黙祷を続ける。それが終ったなら、最初に牧師が年頭の祈祷をささげ、一同も祈り、次に一同で主の祈りをし、賛美した後、互いに新年のあいさつをして閉会する。ただしこの時、各個人が与えられたみことばの朗読、新年の希望、目標等の簡単な証言をすることができるならば、一層幸いな恵まれた集会となるであろう。